秘密のI love you

答えはいつだってステージにある

希望の歌 愛の歌を

2018年7月9日

7人の関ジャニ∞に幕を下ろした日。




ここでエイトのことを書くことはもうないかなと思っていて、その方がいいなと思ってたんだけどな。すばるがいないエイトなんて想像ができないけど、もうこの週末には6人のツアーが始まるからその前に思うこと。






見てる側として不安、とはもうあんまり思わない。3日連続の生放送で、ラジオで、文章で、7人がそれぞれにこのターニングポイントに向き合って踏ん切りをつけて、前を向こうとしていることはとてもとても良くわかって、痛いくらいにいろんな感情が伝わってきて、わたし自身がさみしいとかつらいとか考える余裕はあまりなかった。4月15日からずっと前だけを見てたりょーちゃんはとてもかっこよくて、でもきっとそれは必死でそうあろうとしているんだということもわかって、そういうところがりょーちゃんだなぁって。今日のレンジャー読んでやっぱりそうだったよねと納得して、それでも最後にりょーちゃんがテレビの中で涙を流せて、その後に笑えたことがよかった。






永遠なんてないよと牽制してもいい
でも僕はね光ってみたい共に
例え一瞬だけでも




そしていつか変わればいいのにな
一瞬が永遠に





永遠がないことは本当は知っていてそれでも願い続ければ永遠にできるものがあるかもしれないって、ずっとそう祈りながら走ってきたのかもしれないなぁと気づいて、でもきっとこれで諦めるひとじゃないんだろうなと思うし。永遠がないからこそ永遠よりも強い一瞬を積み重ねるのだという信念に変わったのかもしれないし。かっこつけてがむしゃらに進む、その姿がかっこいいってずっと思ってるよ。背負うものが増えても進むしかなくて、でもその道は絶対に間違いじゃない。すばるが、6人が進む道は絶対に明るい。わたしにはそうとしか思えない。今までだって、どんなことも力にして正解にしてきたじゃないか。そんなエイトにずっと救われていたよ。りょーちゃんはこれまでも、これからも、ずっとわたしのヒーロー。

I still love with you

滝沢歌舞伎2018 大千穐楽 お疲れさまでした!


ってちゃんとまとまった文章を書こうとおもったけど殴り書きです。





この春はやしくんがどんなことを思って過ごしていたのか本当のところはわからないけど。御園座で見たはやしくんはほんと楽しんでたし、いろんな人からはやしくんの名前やエピソードが出てきていたし、千穐楽の挨拶の感じも充実した春だったのかなって感じるものだったから、それがこれからにつながる、弾みをつけるものになっていたらいいなと思う。




噂のステナビも、4〜5月の雑誌のあれこれも、わたしの知ってるはやしくんと想像していた範疇をそう超えないものしかなくて、まぁ本人からの言葉で答えあわせができたのはありがたいけどそれは今の時期に語っていいのかな?と思うけど(内容よりタイミングの問題だろうと思うし雑誌とインタビュアーには怒ってる)でもたぶんはやしくんにとっては別に隠すことではなくて、むしろ連載がなくなったからこそ雑誌でそういう話ができるのはいい機会だとか思ってそうで。あぁそうだったこのひとは器用に見えて不器用で何考えてるかわからないようで見てればステージで感情が全部出ちゃってるようなひとで、それでいて自分の意見をガンガン出すわけではなくて、どっちかというと何色にもなれるひとで。自分の色がないのかなって思ったらそうじゃなくてひとつひとつちゃんと自分の意思で決めてきたひと、だったなぁって。わたしが見てる5年半くらいの間に知ったはやしくんはそういうひとで、わたしはそういうところがすきで、はやしくんが決めたことに間違いはないんだとずっと思っていたかったのです。いいファンでいたいとかそういうことではなくて、わたしが納得できるのがそれだから。


自担のことは全肯定できるおたくでいたいなと思っているけど、それはその方がストレスなく楽しくおたくできるからです。文句ばっかり言うのは楽しくない。そう言いながらもダイアリー遡ったらまぁまぁ怒るときは怒ってて自分で笑ったけど、結局はやしくんが揺れてるときのお仕事にはやっぱり何かしら変なところがあって、それがプロじゃないってわたしは怒っていて、結局全部わかってたことだったなぁと。それでもわたしははやしくんのことがすきだし変わらずに見ていたいと思います。それがいつも変わらない着地点なので今更何を、ということなんだけど。




他の人の言葉に左右されすぎてたなぁという反省はあって。同担他担問わずいろんなひとの言葉が目に入ってきて、はやしくんの決断で宇宙メンバーと宇宙担、とくにめぐに多大な迷惑をかけたことは間違いなくて、それは人生かかってるレベルで、ほんとそこに関してははやしくんが悪いよ、と思っているんだけど。わたしだって失ったものを思うと悲しいし寂しいし大バカやろーって言ってやりたいと思ったし。でもそれよりも、いるだけでいいって言ってもらえても自分がいることで迷惑をかけてしまうと思ってしまったはやしくんの気持ちはわかるんですよ。こーたはわからないって言ったんだけど、わたしはわかるなぁと思ってしまったから。だからわからない側のひとの言葉にすごくへこんでしまって、自分自身の状況にも重ねてしまって、余計に不安定になってたなぁと。
でももう、歌舞伎が終わってこれからは本当に1人で、自分自身の力で戦っていくしかないから。やっとそのスタートに立つわけだから。謙虚であれ、と思えど、これからのはやしくんに時間もお金もかけてくれないひとの言葉に一喜一憂している暇なんてないんですよ。そういう人たちが目が離せない存在になってほしいけども、今はとにかくこの道を進むだけだから。そう開き直ってしまったからもうわたしははやしくんについてくしかないんだと思う。


まずは夏の、そして願わくはその次の季節もその先も、ステージに立てる日々が続きますように。この道が続いていきますように。これからもわたしの希望でいてください。

救世主が必要なんじゃない?

殴り書きです。


御園座に行けてよかった。演舞場よりもはやしくんがのびのびしてるように見えたのは気のせいかな、でも地方公演だとそういう感じになるよね?と博多座を思い出したり。でもほんとに、顔つきがちょっと違った。わたしの気持ちやコンディションの問題もきっとあって、4月からずっとはやしくんは最高のパフォーマンスをしていたし前だけ向いてたんですよ。でも今日改めてステージに全力な姿を見て、このひと以上はいないなぁと思えたんです。何回めだよって話だけど見るたびにそうやって確認しないと安心できないんですね…めんどくさいおたくでごめんね。




グループを抜ける理由を「芝居をやりたいから」と言ったけどほんとうはそれだけじゃないだろうとみんなきっと思っていて、でもわたしは正直どっちでもよくて(そういう言葉でしか表せなかったのかなとも思う)はやしくんが思い描く未来に進めるのなら良いんだと、それだけを信じていたかった。でもやっぱりいろいろ聞こえてくるし、今は本人の言葉ではそれ以上のことはきけないだろうし、何か形にするまで見守るしかないんだと思って。ただ願っていたのは、芝居か歌とダンスかどっちか、なんて決めないで、自分の持ってるものを全部諦めないでほしかった。全部できる道を選んでほしかった。すぐには無理でもいつかまた、広いステージで歌って踊る姿を見られるといいなって思っていた。まぁでもあぁいう形で発表した以上は、歌舞伎が終わったらしばらくは歌って踊るはやしくんは見られないんだろうしそれは仕方がないよねって飲み込んで。


それで4月に歌舞伎入ったら、歌も踊りも芝居(というほどじゃないけど語り手)もやっぱりわたしがすきなはやしくんで、こんなに素晴らしいパフォーマンスができるのにそれを(一時的にだとしても)手放すの?と悔しくて。そしたら雑誌で、「歌も踊りもできるミュージカルをやりたい」って。そうだよねそう思ってるのは知ってたけど!今それ言えるのか!と脱力してしまい。だって1〜2年前からミュージカルやりたいって言ってたし。でもそれだけではグループを抜ける理由にはならないでしょう?いやはやしくんにとってはなるんだよね。はやしくんの思うことはわかる気がするんですよ。でもたぶん大多数の人はそういう風には思わなくてそれじゃ納得しないから、だからこーたは最後までわからないって怒ってたと思うし。だから当分はあの3月31日の文章以上のことは言わないんだと思ってたんだけど。


つまりは最初から何も諦めるつもりはなかったんだなと気づいて、わたしがこれまで見てきて知ってる、こんなひとって思ってるはやしくんは実際のはやしくんとそんなにずれてないんじゃないかなってちょっと安心もして、今日御園座に入ったら。5月よりもさらにダンスの表現力に磨きがかかって、歌声の伸びやかさも声量も圧倒的に増していて、笑顔が眩しくて、全力で必死なんだけど悠然とした空気も纏っていて。きっともうこれ以上の人はいないなぁって強烈に感じたステージでした。
そしてふと思ったの、この先も舞台に立ち続けてくれて、いつか40代、50代になってかっこいいおじさんになってもステージに立つはやしくんを見ていられる、そんな未来だってあるのかもしれないなぁって。いつも目の前のことしか考えられなかったし次はないかもって思っていたからそんなの想像したことがなかったけど、そこに辿り着く可能性はゼロじゃないのかもなぁって、妙にリアルに想像できて。そうならない未来もあるけどもしかしたら、って想像できたことが嬉しかったです。すきなものをすきでいることをやめたり諦めなくていいんだなって、すきなものを全部抱えて進んでいけばいいんだなって思えた。


答えはわかってるのに情緒不安定なのはわたし自身が不安定だからで、状況を重ねてしまって勝手に励まされたりへこんだりしてるめんどうなおたくでほんとに申し訳ないのだけど、今日はいろんな意味ではやしくんに心救われた日でした。ほんとうにありがとう。また不安定になるだろうけどもうちょっと頑張れると思う。頑張れなくなる前にまた会いにいくね。覚悟を決めてわたしのドラマをやらなきゃね。

優しい声が遠く遠く 君の元へ届きますよう

滝沢歌舞伎見てきました。4月に1回、5月に1回、それで演舞場はおしまい。御園座もそんなに行かない。増やせないわけじゃないけど今年の内容にうーんと首を傾げてしまったのと、見ればみるほど考えすぎてしまう気がするのでこれくらいがいいかなぁ。たぶん今考えてもここには答えはないと思うんだ。感想ではなくて今思ってることを書きます。




もう1ヶ月過ぎたんですけど気持ちの整理がちゃんとついたわけではなくて、宇宙の連載読んではみんなごめんねありがとうねって泣いてるし、はやしくんのばかー!って思ったりでもはやしくんは悪くないよっていい子ぶってみたり、ぐちゃぐちゃで。それでもどうしても、はやしくんをこれからも応援する、という結論に全く変わりがないのでそれ以上考える意味がないなぁと思って。わたしはわたしのドラマをやるしかないんだって希望なのか絶望なのかわからないけど、そうして日々生きてます。




芝居をしたいからグループを抜けます、でも事務所は辞めません、という選択肢が許されるんだろうかってわたしには未だにわからない。いや許されたんだけど、その言葉が全部真実じゃないのはわかってる。決まったのがいつだったかわからないけど、たぶん湾岸ライブより前な気がするし、はやしくんはサーデラとの合同ワークショップにはほぼ参加してない気がする(これは勝手な想像)。グループにいたってお芝居の仕事はできるしよしたかはメタルマクベスに出るんだから言い訳ができない。




わたしはね、甘えたくなかったんじゃないかなぁと思ってる。こたは個人仕事を頑張ってまたグループに戻ってくればいいじゃないかって言ってくれたみたいだけど、それではだめだって思うようなことがあったのかもしれない。中途半端にしたくない、逃げ場を作りたくない、はやしくんがそういう風に考えたとしても不思議ではないなぁとわたしは思います。その考え自体がみんなに甘えてるけどね?こたやよしたかがちゃんと怒ってくれたんだと思うし、ふざけんなよってちゃんと言ってくれてよかった。
ずっと辞めたがってたんじゃないかって言う人もいるけど、まぁ確かに辞める噂は絶えなかったけど。そうだったとしても、はやしくんは仲間のことを大好きだったし宇宙を大事にしたいと思っていたよ。宇宙になったことははやしくんの意志だったはずだし(はやしくんが言い出したということではなくて)自分のやりたいこととグループとしてすべきこと、ぎりぎりまで両立させようとしてたんだと思ってる。
様子がおかしかった時期も、どう考えてもケンカしてた時期も確かにあって見ててしんどかったし、あの頃からそういうことを考えてたのかなってそりゃ邪推してしまうけど。いくつか、そんなやる気ないパフォーマンスするなー!って本当に腹立てたときもあったしそれは本人に手紙を書いた。読んでたかわからないけど。でもそのいくつかを除けばその時の全力でステージに立とうとしてたこと、グループになろうとしていたこと、嘘じゃなかったと思ってる。わたしが大好きだったものが全部嘘だったなんて思わない。





今日歌舞伎を見て、わたしはダメなおたくなので、自担が結局1番大事なので、いろんなことを剥ぎ取って最後の最後に残るのは結局、どんな形でもいいからステージに立っててほしいってそれだけ、なんだなーって改めて自覚してしまって。今までもそういう風に思ってたし言っていたけど、前提としては自担がきっちりクオリティの高いパフォーマンスをしていること、それが誰かに(全方位じゃなくてもいい)評価されている、もしくは評価してもらえるだろうと感じられること、があって。だから、やる気がないように見えたら怒ってたし評価されてないと感じたら悲しかったし、1番前や舞台の真ん中に少しでも長くいてほしかったんです。
でもなんだか、それよりもただはやしくんが楽しいと思えて、笑顔でいられて、ステージにいてさえくれたらそれでいいんじゃないかって思ってしまって。真ん中じゃなくたって1番前じゃなくたって、多少ふざけてるのが見えたって、そこに居場所がありさえすれば、って。これだけ出番も見せ場ももらっているひとのファンでいながら言うことではないと自分でも思うけど、今日はほんとにそんな風に思ってしまったなぁ。はやしくんが手を抜いてたというわけじゃないです。疲れてるのはわかってしまったけど全部全力だったしクオリティは最高に素晴らしかった。わたしの大好きなひとだった。




2015年9月の連載で『歌が大好きだ!』って書いてくれたこと、ダンスクのソロインタビューの『ステージに立つと楽しいなぁって思うんです』『お芝居でグループを引っ張っていきたい』という言葉は嘘じゃなかったと信じてる。ずっと自分と周りのことを考えて行動してきたはやしくんが、自分自身が立ちたいステージにこれから立ち続けるために選んだことなんだと思ってる。いつか本当の理由や気持ちを教えてくれたらいいなぁと思うけど、それよりも今はきっと、誰にも文句を言わせないために、自分の選んだ道をほんとうにするために頑張っているはずだから。嘘も優しさも苦いけど、それをゆるせる未来に辿り着けたらいいな。甘いかもしれないけど、わたしはいつもお手紙に書いてる「ずっと応援してます」という言葉をほんとうにしたいと思っています。

僕を信じてくれた遠い日の僕よ

滝沢歌舞伎を見る前の気持ちを書いておきたいなぁと思うのだけど正直自分でもよくわからない。きれいにまとめることはできないので思いつくままに書きます。
いまははやし担もそうじゃない人もいろんな気持ちをもっていて、いろんな言葉が流れてきて、まぁあんまり目に入れないようにしてるんだけど、考えても考えてもはやしくんのほんとの気持ちはわからないし。わたしはただ事実とこれからのはやしくんを受け止めるだけだなぁって思ってるんだけど。




前回も書いたけどこういうときに、あのときのあれはきっとあぁだったんだ、って言うおたくかっこ悪いなって思ってて、そりゃ考えてしまうんだけど、そのときは気づいてなかったんだよ。気づかせないようにしてくれてたんだよ。隠しきれてなくてなんか変だなーでも気のせいだよねって思いたかったのはこっちだもん。何を言っても考えても事実は変わらないしわたしたちは何もできなかった。




あのときだってあのときだって、ステージでのパフォーマンスはきっちり魅せてくれて。本心がどうであれ、グループになろうとして、グループとしての目標を言葉にしてくれて、あんなに「俺はやらない!」って言ってたバク転を練習して。その行動がぜんぶうそだったなんて思いたくないし思えない。こういう形になってしまったけど、6人だったことを否定したくない。それはわたしがはやし担だから言えることだと思うけど、はやし担だから言います。ちゃんと愛していたし愛そうとしていたはずなんだ。


りょーた、えださん、こーた、めぐ、よしたかには本当にごめんねって思う。そしてありがとう。わたしが言うことじゃないけど。きっとたくさんたくさん話をして、ちゃんと怒ってくれたんだと思う。何考えてるんだよって本人に言ってくれたんじゃないかと思う。それでも気持ちが変わらなかったはやしくんは大バカ者なんです。それをゆるして(ないかもしれないけど)くれてありがとう。ゆるさなくたっていいと思うけど、それはそれでしんどいから、大バカ者のことは忘れて進んでいってくれたらいいと思う。


なんでわたしのすきなひとは、隣にいる大事なひとの手を離してしまったり離されてしまったりするんだろうね。みんな多かれ少なかれあるのかもしれないけど。
そのひとといるときにだけ見せるかおとか、そのひとと一緒に踊るときにだけできる空気とか、そういうものがなくなってしまうのはとても悲しいんだよ。何も意識しなくてもぴったり合うものが、そこにしかないものがあるのに。1人ではできないことがあるのに、それを自分から手放すなんてほんとにばかだなって思ってるよ。




でも歌とダンスと芝居。天秤にかけるものではないと思う。天秤にかけたわけじゃない、と思ってる。
踊る姿を見てすきになりました。歌う声をもっとききたいって思って、演じる機会がもっと増えてほしいと思いました。ぜーんぶすきなんです。はやしくんが表現することそのものがわたしの感情を揺らすんです。だからその時々で形が違ってもいいから板の上に立つ姿を見ていたい、それがわたしの願いでした。だから今回の選択はわたしにとって一番大切なことは守られたのだと思っていて、はやしくんにとってもそれが最善なんだったらもう文句なんてない。手放したものの大きさはきっともうわかっているだろうしこれからも実感するでしょう。でももう前を向くしかないもんね。知ってるよ。これでほんとによかったのかって毎日思うんです。その度に選んだのは自分で、選んだ道を正解にするのも自分だって言い聞かせるんです。わたしも今そんな日々です。まぁつらいわけではなくて楽しく仕事をしているけど、でも帰り道にふと不安になります。その不安を消すためにまたがんばるしかない。



がんばる姿をみにいくから、これからもステージに立つ限りきっとすきだから、どうかその心が誰かに傷つけられることなく、輝いていられますように。いまはそう願っています。

笑ったその瞬間をいつまでも

2018年3月31日
本日をもってはやしくんが宇宙Sixを脱退しました



いつかこのときが来るんじゃないかとぼんやり思っていました。最初からもういつやめたっておかしくないって覚悟していたけど、それじゃなくて。この場所にいてはやしくんはほんとうに幸せなのかなって、本人がどこへ向かおうとしてるのかなって。だから、ついにこの日がきたんだなって。ただ、本人の言葉としてwebに掲載された文章でそれを最初に知れたことと、「グループを抜ける、事務所にはジャニーズJr.として残る」という選択に驚きましたが。




こういうときに、あの時のあれが…って語り出すおたくダセェなと思ってるので書かない方がいいんでしょうけど。正直にいうとわたしは宇宙Sixのはやしくんにはずっと違和感があって、宇宙というグループも5人のことも大好きだしそこに夢をみていたかったけど、はやしくんの見てる未来はそこだけじゃないんだろうなとは思っていました。それでもグループを大事にしようとしていたから、宇宙にいて、はやしくんのやりたいことができるならそれでいいと思っていました。
2018年のカレンダーでファンに向かって、歌とダンスと芝居、どの林翔太がすきですか?って問いかけてて。不安や迷いがあるのかなって思ってたんです。だとすれば、ファンが見たい林翔太よりもはやしくんがやりたいことをやってくれる方がいい。有頂天一座を経たはやしくんはもっと芝居をやりたいと思っただろうし、それができる環境ならいいよねって思っていました。実際はもう決めてたんだよね。
自分のやりたいことが明確で、それを選ぶことができる、その決断ができたことがよかったなぁと心から思います。




たとえばこれが2年前だったら、お芝居をメインにやっていきたいからグループを抜ける、となったら退所することになってたでしょう。そうじゃなかったのは今だからできた選択かなと思うし、それが本人の意思なのかはわからないけど。斗真や風間くんの活躍、ふぉゆさんやぶんちゃんの今の立場、はやしくんが今まで積み上げてきたもの、宇宙Sixというグループがあること、そういうものがうまくはまったからこそできたこと。




それで失うものがあることは覚悟の上だろうからぐちぐち言わないけど、今日だけ。湾岸ライブに行かなかったことと、宇宙Sixでアリーナクラスでコンサートするところを見たかったな!というのはわたしの心残り。わかってるよね。もう一緒に歌ったり踊ったりできないかもしれない。すのーまんとは一緒に舞台に立てても、宇宙と一緒に舞台には出られないかもしれない。せっかく清水さんにもらったオリジナル曲も一緒に歌えないよね?泣いちゃうりょーたの肩を叩くこともできないよ。ステージでえださんのおしりさわったり追いかけることもできないよ。赤がなくなったらバランス悪いじゃん。アスタリスクで6を表すって言いづらくなるじゃん。ねぇさみしいよ⁈もっともっと一緒にいるところを見たかったよ。でもそれでも行くんだよね。何かを選ぶということは何かを手放すことで、それでも進みたい道があるということ。




湾岸見れなかったわたしも、5人も、5人のファンも、グループにいるはやしくんがすきなひとも、みんな怒ったり悲しんだりしていいと思う。
応援の気持ちはもちろんだけれど、その怒りや悲しみの分だけ、この先のはやしくんは努力して前に進んでいけるとおもうんです。そしてその人たちに役者として成長した姿をいつか見せてくれる。だから、忘れないでいてほしいし見ていてほしい。
たくさん手放して、自分の意志で選んだ道を進むからこそ、見える景色が絶対にあるから。はやしくんにしかできないこと、はやしくんにしか見れない景色をこれから見られますように。あなたの進む道を全力で応援します。そしてわたしも、自分の道を歩いていきます。
君が望んでる明日へ、進んでいけますように

死ぬも生きるも

おれには生涯、てめぇという
つえぇ味方があったのだ

有頂天一座ではこの台詞が3回出てくる。それぞれに意味合いが全然違う。大好きな台詞はたくさんあるけれど、この言葉には敵わないなと思う。

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