秘密のI love you

答えはいつだってステージにある

僕を信じてくれた遠い日の僕よ

滝沢歌舞伎を見る前の気持ちを書いておきたいなぁと思うのだけど正直自分でもよくわからない。きれいにまとめることはできないので思いつくままに書きます。
いまははやし担もそうじゃない人もいろんな気持ちをもっていて、いろんな言葉が流れてきて、まぁあんまり目に入れないようにしてるんだけど、考えても考えてもはやしくんのほんとの気持ちはわからないし。わたしはただ事実とこれからのはやしくんを受け止めるだけだなぁって思ってるんだけど。




前回も書いたけどこういうときに、あのときのあれはきっとあぁだったんだ、って言うおたくかっこ悪いなって思ってて、そりゃ考えてしまうんだけど、そのときは気づいてなかったんだよ。気づかせないようにしてくれてたんだよ。隠しきれてなくてなんか変だなーでも気のせいだよねって思いたかったのはこっちだもん。何を言っても考えても事実は変わらないしわたしたちは何もできなかった。




あのときだってあのときだって、ステージでのパフォーマンスはきっちり魅せてくれて。本心がどうであれ、グループになろうとして、グループとしての目標を言葉にしてくれて、あんなに「俺はやらない!」って言ってたバク転を練習して。その行動がぜんぶうそだったなんて思いたくないし思えない。こういう形になってしまったけど、6人だったことを否定したくない。それはわたしがはやし担だから言えることだと思うけど、はやし担だから言います。ちゃんと愛していたし愛そうとしていたはずなんだ。


りょーた、えださん、こーた、めぐ、よしたかには本当にごめんねって思う。そしてありがとう。わたしが言うことじゃないけど。きっとたくさんたくさん話をして、ちゃんと怒ってくれたんだと思う。何考えてるんだよって本人に言ってくれたんじゃないかと思う。それでも気持ちが変わらなかったはやしくんは大バカ者なんです。それをゆるして(ないかもしれないけど)くれてありがとう。ゆるさなくたっていいと思うけど、それはそれでしんどいから、大バカ者のことは忘れて進んでいってくれたらいいと思う。


なんでわたしのすきなひとは、隣にいる大事なひとの手を離してしまったり離されてしまったりするんだろうね。みんな多かれ少なかれあるのかもしれないけど。
そのひとといるときにだけ見せるかおとか、そのひとと一緒に踊るときにだけできる空気とか、そういうものがなくなってしまうのはとても悲しいんだよ。何も意識しなくてもぴったり合うものが、そこにしかないものがあるのに。1人ではできないことがあるのに、それを自分から手放すなんてほんとにばかだなって思ってるよ。




でも歌とダンスと芝居。天秤にかけるものではないと思う。天秤にかけたわけじゃない、と思ってる。
踊る姿を見てすきになりました。歌う声をもっとききたいって思って、演じる機会がもっと増えてほしいと思いました。ぜーんぶすきなんです。はやしくんが表現することそのものがわたしの感情を揺らすんです。だからその時々で形が違ってもいいから板の上に立つ姿を見ていたい、それがわたしの願いでした。だから今回の選択はわたしにとって一番大切なことは守られたのだと思っていて、はやしくんにとってもそれが最善なんだったらもう文句なんてない。手放したものの大きさはきっともうわかっているだろうしこれからも実感するでしょう。でももう前を向くしかないもんね。知ってるよ。これでほんとによかったのかって毎日思うんです。その度に選んだのは自分で、選んだ道を正解にするのも自分だって言い聞かせるんです。わたしも今そんな日々です。まぁつらいわけではなくて楽しく仕事をしているけど、でも帰り道にふと不安になります。その不安を消すためにまたがんばるしかない。



がんばる姿をみにいくから、これからもステージに立つ限りきっとすきだから、どうかその心が誰かに傷つけられることなく、輝いていられますように。いまはそう願っています。