秘密のI love you

答えはいつだってステージにある

僕らの描く未来は

ちょっと前に、行き詰まってたときに書いてた文章が出てきたので。あまり深い意味はないんだけどあげてみます。じゃにおた関係ない。







ひとの人生にすこーし、関わるようなしごとをしています。気をつけているのは、わたしがそのひとの人生を決めてしまわないこと、選択肢を狭めないこと。できるなら希望を与えられるようになりたい。その人の望むことを実現する、手助けをしたい。でもそれが難しい。わたしの限界値が低ければその人の限界をわたしが狭めてしまうことになって、それってものすごく悔しい。だからこそがんばろうっていう原動力になってたりもする。


大事なのは、人生におけるその選択がベストかどうかではないと思っています。もちろんベスト(に近い)選択をしてほしいけど、何をもってベストかは決めきれないことも多い。あるひとはひとつの希望はあきらめてもうひとつだけを選んだ方がいいと提案した。べつのひとはAさんの希望だからどちらも実現すればいい、そのために協力する、と。よく知らなかったひとはどちらも無理だから別の方法がいいと言った。きっとどれも間違ってないしみんなAさんを思っているのは同じ。Aさんは希望をすべて実現すべく努力する道を選んだけれど、そこには苦しさが伴うしもしかしたら長くは続かないかもしれない。それが本当によかったのかは後になってみないとわからない。ただ、Aさんは自分でそれを選んだから、後悔はしないだろうなと思うのです。


こういう場面は結構よくある。本当によかったのかなってずっと気になったままのことも多くて。こうしてたらよかったのかも、って後悔することも。でもときどき、あのときああしてよかったよって言葉を聞けたりする。その悔しさとか嬉しさがあるから続けられてるんだろうなーと。




閑話休題。なんでもかんでも結びつけるなよって話ですが、じゅにあを見ているとやっぱりいろいろ考えてしまうわけで。後悔だけはしてほしくないなと思う。たとえ夢を全部かなえられないとしても、自分の意志で選んでその場所に立つことができたなら、何も恥じることはない。だから、どんな未来であってもその場所で過ごした時間を否定することだけはしないでほしいなぁ。後になって、それが素晴らしかったと声高に言ってほしいとは思わないです。ちょっと苦いような、あまり触れたくない部分もあるかもしれないから、でもその全部を否定はしないで。きっとその姿を見ているひとがいて、その存在に影響を受けた、力をもらった、愛した、そんなひとがきっといたはずだから。そのことは忘れないでほしいな、なんて。時制がごちゃごちゃだけど特定の誰かを指してるつもりはないです。




まぁ、何が正しいとか何が正解とかそう簡単にはわからないから。そのときの精一杯で正しいと思える、後悔しないと思える選択をしていくことが大事なんだろうなってことで。いいこと言いたいわけではなくてですね。尻切れトンボだけどとりあえずおしまい。